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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-08-02 第196回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

これは、長良川河口堰本川下流部しゅんせつなど、昭和五十一年以降行われてきた数々の河川整備が功を奏したものと考えます。私自身、長良川河口堰の建設にも携わりましたし、その後、中部地方整備局長としても担当させていただきましたので、この点については安堵をしているところであります。  

足立敏之

1992-05-26 第123回国会 衆議院 決算委員会 第6号

荒井説明員 この浄化用水導入というのは、利根川本川下流部既得水利影響を与えない範囲でという一つの制約条件がございます。ということで、下流にはまだ千葉県の印旛沼とか房総導水路とかいろいろな関係の水が使われているわけでございますので、それに影響を与えない範囲でということになるわけです。  先ほど申しました御説明で七割と言いましたのは、実は、最近の流況を検証いたしますと大体七割ぐらいだろう。

荒井治

1979-05-24 第87回国会 衆議院 農林水産委員会 第15号

田中参考人 いま先生からお話がございましたように、利根川工事実施基本計画では、本川下流部において主として塩害防除に必要な流量としては五十トンと見込んでいるわけでありますが、塩害防除に万全を期するために利根川河口ぜき事業計画されたわけでございまして、この計画においては、新規利水を取水した後のせきからの流出量を検討した結果、確保すべき流水量を約三十トンと見込んだわけでございます。

田中和夫

1975-12-12 第76回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号

それによりまして茨戸川の水位が下がる、伏籠川等水位も下がるということでございますので、そのためには河口部狭窄部を開削するとか、あるいは本川下流部しゅんせつを行うということを考えておるわけでございますが、ただ、そこにもまた漁業組合との関係がございまして、そういったものの解決が前提になるわけでございますので、そういった点を鋭意対策を講じつつあるわけでございます。

本間俊朗

1974-08-21 第73回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

これの仕事は、本川下流部弱小堤防の補強と上流部の本支川河道改修が現在も行なわれておるわけでございます。さらに、日光川流域は、先生申されましたように、地盤沈下が著しいために、昭和四十八年度から新たに地盤沈下対策河川事業によりまして、日光川の支川の蟹江川の排水機場を設置する事業に着手しております。現在まではそういうことでございますが、今後のことはまた後ほど申し上げます。

増岡康治

1956-09-07 第24回国会 衆議院 農林水産委員会 第53号

三池郡高田村の関係町村民五万の人々は、世々代々その災禍により塗炭の苦しみに呻吟し、悲運に明け暮れておるのでありますが、国鉄鹿児島本線鉄道橋より上流は旧態依然として藩政時代治水計画のまま無堤防地帯がありまして、また築堤部分といえども過去数十年の間一度も改修されたことがなく、加うるに戦時中山林乱伐により上流より土砂流出がはなはだしく、特に有明海よりする微粘土の流入堆積は一そうの悪条件をもたらし、本川下流部

原捨思

1949-08-25 第5回国会 衆議院 建設委員会 第24号

本川は流路延長幹川五十五キロ、支川五十キロ中、改修延長、幹川十二キロ、支川九キロでありまして、洪水の被害は甚大なるものがありますが、ことに本川下流部左岸、すなわち大分市側面にあたる約一キロの間は、いまだに堤防天場は市街地とほぼ同高のまま放置され、さらに下流部土砂堆積による水位の上昇の認められる現況におきまして、相当の危險が予想される状態であります。  

前田榮之助

1947-12-08 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第34号

賀屋説明員 斐伊川改修工事の緊急を要しますことは政府も認めてゐる次第であり、本年度においても本川下流部改修に相當經費を支出してこれが促進に努めているのでありますが、何分にも物價等の變動ははなはだしく、豫期の效果をあげ得ない實情であります。今後におきましても國庫財政の許します限り、豫算の増額をはかりまして迅速完成努むる方針であります。     —————————————

賀屋茂一

1947-12-05 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第33号

にあたり、總額一千五百七萬圓をもつて、大正十五年以降七箇年の継続事業として豫定されましたが、昭和七年の大水害のため豫定計畫を変更し、被害の最も甚大な上流部の智恵文、名寄及び土地別で、とりあえず河道切替掘鑿竝びに堤防築設工事を施行するため、昭和九年以降五箇年継続事業として八十万圓を支出著工し、さらに昭和十四年度以降同十八年まで五箇年間に百萬圓を追加計上し、既定計畫の完成を期するとともに、他面別途に本川下流部中屈曲

坂東幸太郎

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